地域資源とタッグを組んだコミュニティ復活
社協名 | 広野町社会福祉協議会 |
時 期 | H26.10~ |
【背景】
- 広野町は平成23年3月11日の東日本大震災後に原発事故により全町民に避難指示が出され、町民約5,000人は県内外に避難、役場機能もいわき市常磐上湯長谷町に移転した。
- 広野町社協では平成23年9月から生活支援相談員2名で、いわき市の仮設住宅や借上げ住宅を訪問し見守り活動を開始した。
- 原発事故から約半年後の平成23年9月30日に国による緊急時避難準備区域の解除、平成24年3月31日には避難指示が解除され、町民の帰還は徐々に始まった。
- 平成29年3月31日仮設住宅や借り上げ住宅の無償供与が終了すると、町民の帰還が一気に進み、同年10月末には約8割の町民が帰還した。
- しかし、町を離れての避難生活は、町民同士が時間をかけて築き上げてきた地域や町民同士の関わりを喪失させた。
- 広野町社協は「帰って来て良かったと思えるようなコミュニティをつくり、全町民が安心して暮らせる地域福祉の確立を目指す」(地域福祉活動中期ビジョン)という基本理念のもと、平成30年12月現在は5名の生活支援相談員で震災前の地域コミュニティを取り戻す支援に取り組んでいる。
【1.孤立防止】 ~町民再会の場~
<背景>- 平成24年4月に社協本部は町老人福祉センターに戻り、生活支援相談活動の拠点とした。
- 生活支援相談員が訪問活動の際、町民は異口同音に「友人知人は元気だろうか」「もう家に戻ったのか」「自分の住んでいた地区は何人戻ったのか」と話していた。
- 生活支援相談員は町民の一番の関心ごとは、避難前のコミュニティがあるかどうかとだと生活支援相談員は痛感していた。
- 生活支援相談員は社協内で話しあい、町民同士の関わりや地域コミュニティの復活を目指すため、町民の再会の機会を作る必要があることを確認した。
- 再会の場は、町に住む人も避難先から来る人も気兼ねなく集まりやすい、町老人福祉センターで行い、「社協サロン」として計画することにした。
- 「社協サロン」の計画に当たっては、町赤十字奉仕団、町老人会と一緒に企画し、高齢者の運動不足を解消するためのミニ運動会、高齢者が好きであった餅つき大会などバラバラの避難生活でしばらく会えなかった時間の溝を埋められるような企画を考えた。
- そして平成24年9月に第1回「社協サロン」 として町民交流会を開催し、町内に戻った町民、避難先で暮らす町民がふれあう交流会が開催された。
- それからは月1回の開催を続け、会を重ねるごとに「社協サロン」が口伝えで広まり参加者も徐々に増え、企画の段階でも地元NPOが加わり生きがいにつながる農園づくりも始まった。
- 高齢者が家に閉じこもることなく外出する機会が増え、町民同士が互いに交流する輪が徐々に拡がっていった。
【2.支え合い】 ~地区の集いの再開~
<背景>- 広野町は町内を27の行政区で構成しており、それぞれの行政区で四季折々の行事を中心に町民が支えあった暮らしをしていたが、避難生活で行事は中断しており、避難指示解除後も地区町民が集まる機会は無くなっていた。
<取組み>
- 生活支援相談員は、避難前に行政区ごとに行われていた「地区の集い」という地区行事の再開を地区の役員へ持ちかけた。
- まずは、3行政区の役員から協力を取り付け、「地区の集い」の年間計画をたて、チラシづくりは生活支援相談員が手伝い、地区役員は1軒1軒のチラシを配りながら参加を呼び掛けた。
<効果>
- 「地区の集い」は最初は数人の参加者だったが徐々に参加者も増え、町民が自発的に企画から実施まで行う行政区も出てきた。
- しだいに「地区の集い」に若者も参加するようになり、地域の伝統行事が復活し、世代
間交流の兆しも見え始め、地域での支え合いの基盤が戻りつつある。
【3.見守り】 ~公的機関によるネットワーク~
<背景>- 平成28年4月以降は、町民の帰還は順調に進んだものの、若年層の帰町は少なく、高齢化率は震災前の約25%から約30%へと増加し、加えて一人暮らしや夫婦二人の世帯へと核家族化していった。
- 生活支援相談員が戸別訪問で町民から聞くことは、持病の悪化時や急病などの緊急時の対応であった。
<取組み>
- 高齢に伴い生活上の活動量が減り(不活発)、心身機能が著しく低下し、日常生活に支障をきたす町民へ、行政や専門職など多職種での支援が必要となってきた。
- 町健康福祉課が主導し定期的な地域連携会議が組織され、生活支援相談員もその構成メンバーとして会議に参加した。
- 会議において、生活支援相談員の持つ日頃の訪問活動、社協サロンや地区の集いから得た町民情報は、他の支援者との情報共有に大いに役立った。
- 会議の参加者である、町健康福祉課・町保健師・地域包括支援センター・民生委員・心のケアセンター・双葉医療センターという公的な機関により、支援が必要な町民の情報共有と支援役割の調整が行われた。
<効果>
- ある時、町民夫婦が散歩中に、認知症による徘徊癖のある夫が先行してしまい、妻が追い付けなくなり、見失ったと妻から町に連絡があった。
- 町から地域連携会議のメンバーに連絡され、地域連携会議で情報共有されていた「この夫がいつも歩く経路」を中心に探したところ十数分で見つかったことがあった。
- 公的な支援機関での見守りのネットワークが力を発揮したエピソードである。
【これからの支援】
- 「社協サロン」においては民間組織と、「地区の集い」においては地区住民と、「地域連携会議」においては公的機関とタッグを組んだ連携を推し進めている。
- それぞれが単独で動くのではなく、相互に補完しあうことを心がけて震災と原発事故により失われた地域コミュニティの早い復活に取り組んでいる。