震災直後、仮設住宅で生活をはじめた町民に寄り添う支援
社協名 | 大熊町社会福祉協議会 |
時 期 | H23.8~ |
【背景】
- 大熊町は現在も町の面積の半分以上が帰還困難区域に指定され、人の立ち入りが制限されている。震災直後、町民は津波を逃れ避難をしたり救助活動をしていたが、福島第一原発事故のために全町避難となった。すぐに戻れると思い避難のバスに乗り込んだが、大熊町には住むことができなくなり、現在に至るまで避難が続いている。
- 大熊町役場が会津若松市に避難拠点を置いたことから、町の人口の4分の1にあたる約3,000名の町民が会津若松市に避難。市内には同年8月から順次12カ所の仮設住宅が整備されたが、体育館や宿泊施設での避難所生活は長い方で10か月に及んだ。
- 仮設住宅では、プライバシーが保たれ自分のリズムで生活ができるようになったため、入居直後の町民からは「ホッとした」という声が聞かれた。大熊町社協は、新たな環境で生活を始めた町民の声を聴くため、生活支援相談員を配置して仮設住宅の全戸訪問を始めた。
【取り組み】
①町民の声を聴くために- 多くの町民は、突然訪問してきた相談員に困りごとや悩みを相談することはなかったため、まずは相談員を知ってもらおうと支援物資を手渡しながら声掛けをした。当初は顔を見てあいさつし様子を伺うだけの訪問であったが、回数を重ねると相談というよりも、津波や避難の恐怖、大熊町に帰れない悲しさ、行政に対する不満、東京電力に対する憤りを口にする方が増えてきた。
- 町民は今、心に溜まったさまざまな思いを誰かに聞いて欲しいのではないかと考え、一人ひとりの話をじっくり聴くことに努めた。すると不安やストレスで「眠れない」、体調が優れないとの訴えや行き場のない怒りをぶつけてくる方もおり、訪問時間は30分から1時間になり、長い方は午前中いっぱい話しをされることもあった。相談員は何時間でもという姿勢で話を聞いた。
②町民に寄り添い身近な存在に
- 話を聞く際は相手と同じ目線で気持ちを理解することを心がけ、話をすることが苦手な方には「一人で抱え込まずに一緒に考えましょう」と語りかけた。だんだんと相談員の存在が受け入れられ、徐々に仮設住宅での困りごとや生活や今後の生活への不安や悩みなどを相談してくれるようになった。
【生活に関する相談の事例】
- 仮設住宅の壁が薄いことで騒音苦情が発生し隣の住民同士で関係がギクシャクしてしまった。
- 雪が降らない大熊町から雪が降る会津地方に避難した事により積雪への対応(雪かきの仕方、雪道の車の運転など)、不安などの相談。
【行政や関係機関に繋いだ事例】
- アルコール依存、自殺企図など精神的な不安や相談を受けて、専門職による心のケアの相談へ繋いだ。
- 畑仕事ができないなど運動不足による筋力低下等の身体状況の変化で、日常生活を行うことが難しいという相談を受けて、介護認定の申請希望を行政へ繋いだ。
【工夫】
- 訪問時は「本当は悩みを抱えていても言えずにいるのかもしれない」と、表情の変化や雰囲気に注意した。話は無理に聞き出すことはせず、何度も訪問して自ら話をしてくれるのを待った。ただし前回の訪問時に比べて気持ちの落ち込みが激しいなどの異常を感じ取った際は、すぐに行政や専門機関につなぎ重症化を防ぐ対応をした。
- 解決困難な相談を受けて無力感を感じたり、怒りをぶつけられたりと、相談員自身が落ち込むことも多かった。悩みを一人で抱え込んでしまうことがないように、訪問を終えて事務所に戻ったら、相談員同士で話し合いの時間を持ち、思いを共有することにした。そうすることで、相談員自身も心身の健康を維持して活動に臨むことができた。
【効果】
- 町民はふるさとの大熊町や住み慣れた家、友人と分断されて、心細い日々を送っていた。町の社協の相談員が定期的に訪問し、町の情報などを提供したことで大熊町とのつながりを感じることができ、町から見放されていない・常に誰かが見守ってくれていると感じることができたそうだ。
- 相談員が話し相手や相談相手、町とのパイプ役となり、町民に寄り添う支援ができた。また、地震・津波・避難のストレスは心身の負担となっていたが、相談員に思いを吐き出すことで気持ちの整理に繋がった方もいた。