社会福祉法人 福島県社会福祉協議会 避難者生活支援・相談センター

いわき市社会福祉協議会

2018/11/15
 

被災によりアルコールに依存してしまった方を多機関連携で支援する


社協名 いわき市社会福祉協議会
時 期 H24.9~H30.5



【背景】

  • いわき市は福島県の南東部の太平洋沿岸部に位置している。平成23年3月11日の東日本大震災では市内北部が津波被害により市民約20,000人が避難生活を送っていた。いわき市社協の災害救援ボランティアセンターでは、同年7月から生活支援相談員6人を配置して避難者の訪問見守り活動を開始した。
  • 被災した地域では津波被害により事業を休止せざるを得ない企業もあり、生活の糧と同時に職場という居場所も失ったことから心身に変調をきたす市民もいたため、生活支援相談員は訪問見守りに余念がなかった。


【取り組み】

《アルコールに依存してしまったAさん》
  • 借上げ住宅に住む60代男性Aさんもその一人であり訪問を開始した。
  • 平成24年9月、訪問開始時のAさんは、積極的に新たな資格を取得し就職活動をしながら毎日を活動的に過ごしていた。
  • 最初の訪問から約3年が経過し生活支援相談員が定期の巡回訪問をすると、Aさんは日中にもかかわらず飲酒していた。
  • これまでの訪問時で生活支援相談員はAさんから「夕飯時の一杯が疲れを癒す」と聞いていたが、日中から飲酒はしないことを知っていたので、Aさんに何かが起こったのではと気にかかった。
  • 生活支援相談員がAさんに詳しい話を聞くと、Aさんは会社の就職面接を友人と受けたが、友人は採用となり自分は不採用となったことにショックを受けたようだった。そのショックを紛らわすために日中からアルコールを摂取するようになり、日に日に量も増え身体的にも影響し、また、飲酒運転で運転免許も失ってしまったとのことだった。



《Aさんを理解する》
  • 生活支援相談員は、Aさんの訪問記録などを読み返し生活歴などを調べ、なぜアルコールに依存するようになったのかを探った。
  • Aさんは仕事が趣味のような方で、様々な資格も取っていたが、かなり小柄で痩せておりさらに高齢という事で再就職も叶わなかったことで、金銭的な問題もあり生活に自信をなくしてしまったのではないかと生活支援相談員は分析した。



  • Aさんは震災前から一人暮らしをしており、近所づきあいはあまりなく、金銭トラブルで親族とも疎遠であったため、悩みを話す相手もいなかったようだった。

《訪問回数を増やす》
  • 生活支援相談員は上司と相談し、長期的には就労支援が必要だが、短期的な支援としてアルコール依存の対応と落ち込んだ気持ちを回復させる支援をすることにした。
  • 担当の生活支援相談員を2名から5名に増やし訪問頻度を増やした。
  • Aさんは生活支援相談員の訪問を受け入れてくれ、面会時間も当初は20~30分程度だったのが40~50分へと伸びた。Aさんは話すことで表情も次第に明るくなり気持ちが和らいだようだった。
  • しかし、泥酔により排泄を失敗することもあり、さらに持病の痛風から着替えも出来ず、訪問時には着替えを手伝う事もしばしばあった。
  • 借上げ住宅の無償提供が終了することになっても、Aさんは飲酒を繰り返し市役所の転居勧告を聞こうとしなかった。
  • 生活支援相談員が保健福祉センターケースワーカーと同行訪問した際、同席していた義姉や妹に仮設住宅からの転居と災害公営住宅入居に当たっての保証人等の必要性などを説明し、災害公営住宅の入居申し込みの理解と承諾を得た。
  • また、途中で年金が入らなくなってしまった際には、地区協議会及び地域包括支援センターと連携し、年金の現況届を提出し再び受給できるようになり、日常生活自立支援事業で金銭管理も行うことになった。


《支援の重なりと連続性》
  • 社協内での見守りを強化するため、Aさんの住む地区協議会と同行訪問を行い、緊急時対応にも配慮した。
  • また、Aさんは保健師の支援を受け入れてくれたがアルコール依存の治療は拒み続けた。
    そこで保健師とも協議を重ね何度も救急搬送された経緯もあり、高血圧・糖尿・痛風・肝臓の治療をすることと介護認定を受けることをAさんに承諾してもらい、病院、地域包括支援センターのケアマネジャーなどの専門職にも支援に加わってもらった。
  • 親族からAさんへの支援や関わりなどは拒否されたが、緊急時など最低限度の連絡はさせて頂くよう粘り強くお願いし承認を得た。
  • また、本人には体調の急変などの緊急時には生活支援相談員にすぐ電話をするようお願いした。


《ご近所との繋がり》
  • Aさんが借上げ住宅から災害公営住宅へ転居した時、訪問すると部屋が散らかってゴミがたまっていた。生活支援相談員が理由を聞くと、ゴミ出しの方法が分からないとのことだったので、ゴミ出し方法を覚えてもらうために一緒にゴミ出しに行った。
  • 同じフロアの班長(取りまとめ役)とは一緒に買い物に行くようになり、震災後に初めてできた知人となり、Aさんに状況変化があった時には班長から連絡を社協へ頂けるようになった。


【工夫】

  • Aさんを担当する生活支援相談員を2名から5名体制にした時には、7名の生活支援相談員がAさんと面会し、Aさんの様子からAさんが話しやすい生活支援相談員を選んで5名の体制を組み、Aさんから思いを吐露してもらえるような環境を整えた。
  • Aさんの意思を尊重しながらも自立した生活を目指すため、生活支援相談員の訪問頻度も月4回から月2回程度に減らしながら、市保健師のほかに地区協議会、地域包括支援センターにも関わってもらい見守り支援の連続性と専門職による支援の強化を図った。
  • Aさんの存在を知ってもらえるように、ご近所を訪問した際にあえてAさんの様子を尋ねることを継続し、ご近所による日常的な見守りやAさんの変調に気がついてもらうようにした。



【効果】

  • Aさんの気性などを理解しながら、訪問者を変えたり支援者の専門力を工夫したことで、Aさんの信頼を得ることができ、Aさんにとって生活支援相談員は心を許せる相手となっていた。
  • Aさんのアルコール依存についてはなかなか改善されないが、ご近所や同じフロアの班長さんとの付き合いも続いており、生活全般に落ち着いている日も見られるようになった。
    また、緊急時など近隣の方より社協へ電話連絡などをくれるようになった。
  • 生活支援相談員はAさんへの支援を通して災害公営住宅での入居者同士の付き合いの重要性を認識し、自治会へ働きかけて自治会主体で要援護者支援体制を作ることになった。



《参考 ; 被災者の心のケアについての取材記事》
○ふくしま復興応援レポ「ふくしま心のケアセンター」
http://pref-f-svc.orgarchives/11713
○ふくしま心のケアセンターのHP
http://kokoro-fukushima.org/



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