東京南麻布「分とく山」料理長 野﨑 洋光(のざき ひろみつ)さん |
福島の源流は自然の中から、生活の循環を司る大地と海と空、そして自身の尺度と軸を持ち継いで来たはずです。
自然を崇拝して来た生活から離れ始めた生活に入った途端の事件です。人間が生きてきた中で、今までも幾度の問題提起が時代に山積され、その度に困難を乗り越えてきたはずです。
地球は自転しながら太陽を三六五日かけ一周しています。
私達も自転しながら福島を観察し、少しずつ郷土の文化と伝統を戻す努力をいたします。戻らないのではなく戻すのです。
私達に与えられた力、「考える」という最大の武器があります。
平和へ向かう知恵を積み上げ世界に向け福島の粟穂稗穂(あわぼひえぼ)を掲げましょう。
※粟穂稗穂(あわぼひえぼ) 小正月行事の作り物のひとつ。ヌルデの短い棒を削りかけにして粟穂に、そのままのものを稗穂に見立て、割り竹などに刺して門口・庭・畑などに飾り豊作を祈るもの。(参考文献/松村明監修「大辞泉」小学館)
プロフィール
1953年福島県古殿町に生まれる。1980年に「とく山」料理長就任。1989年に「分(わけ)とく山」を開店。2004年には、アテネ五輪日本代表野球チームの総料理長を務めた。素材の味を生かした料理と「食の原点は家庭料理にあり」という考えが多くの共感を呼び、食に関する講演やイベント、テレビ、雑誌などでも活躍中。多くの人が避難所での生活を余儀なくされた2011年の東日本大震災では、料理人仲間と被災地応援団を結成し、寝袋持参で避難所を訪問。避難されているお母さん達と一緒に料理を作り、家庭的な雰囲気で元気づけた。