新しいご近所付き合いからコミュニティを創りだす
社協名 | 川俣町社会福祉協議会 |
時 期 | 平成29年9月 |
場 所 | 川俣町山木屋 田代地区 |
【背景】
- 平成23年4月、川俣町の一部が計画的避難区域に指定された。対象となった山木屋地区に住む501世帯1,246人が避難生活を余儀なくされた。
- 平成29年3月31日、山木屋地区の避難指示が解除された。
- 県内では避難指示が解除された地域への住民帰還が始まっているが、帰還率は依然として低く、帰還者のほとんどが高齢者という状況で、震災前のような地域コミュニティを取り戻すことが大きな課題となっている。
【取組み概要】
- 避難指示解除後に山木屋地区に帰還した住民は131世帯、275人となった。(平成29年11月30日現在)
その中の一つの行政区である田代地区では29世帯110人のうち、16世帯38人が帰還していた。
解除から半年後の9月のある日、相談員が田代地区の一人暮らしの高齢者を訪問すると「隣りが遠くて訪ねていくこともできない」「兄弟姉妹以外は、誰も来ない」と嘆いていた。相談員は、玄関に一人ポツンとたたずむ高齢者の姿に後ろ髪を引かれる思いで帰るしかなかった。翌日、翌々日と三日連続で同じことを別の帰還者から聞かされた。 - 相談員は同様に強く孤独を感じている人がいるのではと思い、田代地区の帰還者宅の訪問を続けた。
高齢者が皆訴えるのは、帰還して半年が経つと個々人の暮らしは以前の落ち着きを取り戻しつつあるが、隣近所や知り合いと会ったり、おしゃべりしたりする場や機会が以前の様にもてなくなっているということだった。
日常的な作業であった畑仕事などをしなくなった避難生活が、高齢者の体力、とりわけ足腰の衰えを招き自由に出かけられなくなったことも理由の一つではあるが、近所付き合いも以前の様に出来る事を思い描いてきたものの、現実は6年間のブランクで戻る住民、戻らない住民がいることが、昔の様なご近所づき合いが出来なくなった大きな理由であることがわかった。 - 相談員は、社協の事務局長とも相談し、帰還した住民同士の新しいご近所づきあいのきっかけ作りのため、交流の場(サロン)の開催を決めた。6年間使っていない田代地区集会所を使うためにはどうしたら良いかを地区住民から聞きだし、集会所の鍵を管理している管理人を訪ねた。
相談員が管理人と会うと新たな展開になった。地区の酪農家でリーダー的存在でもあった管理人も帰還した高齢者が家から出なくなったことや地区の集まりも再開していないことを気にかけており、相談員からの話に「待ってました」と言わんばかりに大賛成してくれた。
相談員は、管理人以外の田代地区の住民2名(比較的若い女性)にも話を持ちかけると諸手をあげて賛成し協力者となってくれた。集会所の清掃、座布団の天日干し、燃料の手配、カメラの準備など、管理人と協力者を中心に準備に邁進した。 - 10月2日に1回目のサロンが開催された。18名の参加者は息子や孫の送迎で参加したり、帰還はしていないが集まりを聞いた地区住民も参加した。相談員は、自分たちの予想を超えた参加者に驚くとともに、男性の参加が7名もあったことは自分たちのサロンだという気持ちの現れかなと安堵した。
サロンは尽きない話に盛りあがり、参加者は月に一度は集まろうという提案に全員一致で賛成してくれた。
サロンの名前もこの地域のシンボルとして親しまれている花の名を取り「田代地区サロンすずらん」と名付けられた。
【工夫】
- 地区住民の主体性を重んじるため、相談員は地区住民が動き出すのを見てからは、地区住民が出来ない事(チラシ作り)を手伝うだけとし、自分たちは見守ることに徹した。
- このサロンは当面社協の協力で開催していくが、ゆくゆくは地区住民が主導するサロンにしていくという目標を管理人、協力者と共有した。
【効果】
- 相談員がたった三人の帰還者の声から住民ニーズを発見し、きっかけを作った後は裏方に回った結果、住民の心に火をつけ住民同士が協力し合うこの地区本来のコミュニティの形を取り戻すことになった。
- 管理人は、田代地区もなかなか捨てたものではないと、満足そうに話している。
- 「田代地区サロンすずらん」としてサロンが始まり、これから住民主体で継続していくという目標ができ、住民たちの顔はほころび山木屋田代地区での生活にハリが出来つつある。