被災地・被災者の自立支援
社協名 | 相馬市社会福祉協議会 |
時 期 |
【背景】
- 相馬市は福島県沿岸の北部に位置し、平成23年3月11日の東日本大震災では約1,000世帯が津波被害で家を失った。相馬市社会福祉協議会(以下、相馬市社協)のある相馬市総合福祉センターは避難所としてピーク時には約1,200人の住民を受け入れた。相馬市社協事務局長は避難所運営に忙殺される中、今後の被災者支援について戦略を練っていた。
- 3月21日に相馬市社協災害ボランティアセンターを開設。がれき撤去等の復旧作業が一段落した5月12日に臨時職員2名を採用して、被災者支援のため応急仮設住宅の訪問活動に乗り出した。そして8月1日から、生活支援相談員(以下、相談員)13名を配置し、
「被災地・被災者の自立支援」を基本理念に掲げ、支援の重点項目を「巡回訪問での見守り」と「住民主体のコミュニティづくり」とし被災者の生活支援活動を本格化させた。
【取組み】
- 状況
*応急仮設住宅は、4月30日に200戸が完成し、その後6月17日までにはすべて(1,500戸)が完成、民間借上げ住宅590戸と合わせ、避難者の生活の拠点は仮設住宅へと変化していった。津波被災世帯は約1,000戸であったが、避難生活の開始と住宅事情により世帯分離が進み、応急仮設住宅等の入居戸数は増加。被災戸数を約500戸上回った。
*行政から避難者情報は入ってくるものの、それらは震災前の世帯情報であり、震災後に入る情報も混乱により錯綜し信憑性は低かった。 - 相馬市社協事務局長の見立て
相馬市社協事務局長は、被災者の正確な情報がなければ支援を必要としている人に支援をすることができない。「最悪の事態は回避しなければならない」という強い思いから、行政から提供された避難者情報をもとに避難者の実態把握を急いだ。 - 相談員の行動
相談員は「情報を足で稼ぐ」を合言葉に1日に20軒以上の仮設住宅を訪問し、被災者の所在と安否の確認を行った。会えない住民には、隣近所や知人などからその住民の在宅時間を聞きだし、夜討ち朝駆けで訪問し実態確認に奔走した。
- 効果
相談員の八面六臂の働きで、被災者の実態を早期に把握することができた。相馬市社協事務局長は把握した情報をデータ化した。このデータは、被災者支援の基盤となり、見守り活動においては計画的な訪問につながり支援漏れを防ぎ、コミュニティづくりでは被災者ニーズとの効果的なマッチングを図るなど、被災者支援を展開する上で威力を発揮することになった。
- 概要
仮設住宅でAさんとBさんは隣同士で生活していた。
Aさんは5人家族で3人の子供がいる母親、Bさんは50代の息子と2人で暮らしていた。
ある日、Bさんから隣の足音と子供の声がうるさいとの苦情が相談員に寄せられた。
相談員は双方の話を聞いた。
Aさんは「すみません」と謝るが、少しでも音を立てると壁を叩かれるので怖いからと、Aさんの実家に泊まってくることもあった。
Bさんの主張は「隣の状況は理解できる、我慢しなければならないのもわかる、でも苛立つ」というものであった。 - 相談員の見立て
仮設住宅は一棟6世帯が入居しており、壁が薄く隣の生活音がすべて聞こえてしまうほどだった。
Bさんは足音や子供の声がうるさい事に対して苛立っているだけではなく、普段ならば許せる事柄に対しても苛立つ自分に苛立っているのではないだろうか。仮設住宅での避難生活のストレスから心に余裕がなくなり、自分の気持ちをコントロールできにくい状態なのではないだろうか。 - 相談員の行動
相談員は、Bさんに声をかけた。「ちょっと散歩に行きませんか。気分転換しませんか」
相談員は、トラブルの話を一切することなく、外の風景や季節の話をしながら同じ時間を過ごしただけだった。 - 効果
Bさんは、散歩したことでリフレッシュができ、苛立ちが静まってきて、Aさんにやさしい言葉がけをするようになった。以前の様な良好な隣人同士で生活している姿をみることができ、相談員は胸を撫で下ろした。
- 概要
*お茶を飲みながらお話しするサロンは、住民たちがおかずを持ち寄りお昼ご飯を共にするという「ランチ会」へと発展していった。そして、おかずを持ち寄る「ランチ会」は、いつしか材料を持ち寄り、料理を一緒につくる「すいとん会」や「おにぎり会」へと発展していき、住民のコミュニティが少しずつ出来上がっていった。
*廃品回収プロジェクト
一方、男性陣は仮設住宅の廃品を回収し始めた。回収で得たお金は四季折々の子供イベントの活動費用に充てられた。最初は1~2名で始まった廃品回収活動は、しだいに10名程度まで広がり、部屋にこもりがちな男性陣が外に出るようになっていった。
- 相談員の見立て
相馬市は、震災前から地域コミュニティが盛んで顔の見えるご近所づきあいにより、豊かな日常が営まれていた。震災により地域コミュニティが崩れると、地域の支えを失い生活意欲の減退が加速度的に進み、孤立化に陥ってしまうことへの危惧。また、全国からの支援物資やボランティアなどの支援の手も潤沢な時期であったため、住民の間に「誰かがやってくれるだろう」という他人への依存の傾向が強まることを危惧していた。 - 相談員の行動
*戸別訪問では、話を聞いた後に、両隣の入居者の様子を聞くことにしていた。住民同士がお互いを気に掛ける下地ができればとの思いからだった。
*仮設住宅の訪問集会所を活用した住民交流会(サロン)を一度は相談員が行うが、二度目からは住民の皆さんが行うことを繰り返し繰り返し説明することで、住民に主体性の気づきを促した。
*戸別の訪問で得た情報から、入居者の趣味について“グループ化”した。お茶会の場などで同じ趣味を持っている住民同士に「一緒にやりませんか」と声をかけ、住民同士のコミュニケーションを誘発した。 - 効果
自主的な活動からつくられたコミュニティは、知らず知らずのうちに住民の心の拠り所になり、井戸端会議的な小さな単位でのコミュニティもいくつか出来てきた。コミュニティが増えることで住民の孤立化防止という大きな成果が現れた。
【成果】
- 相馬市社協被災者支援のスローガンである「自殺させない、孤独死させない、自立させる」のうち、孤独死させない点については、50歳代の男性が死後5日も発見できない悲しい事があった。しかし、仮設住宅が平成29年12月10日に閉鎖するまでの6年9か月余りの間、自死はゼロであった。また、住民主体のコミュニティが出来たことは、過酷な避難生活において、住民の心に「震災に負けてたまるか」という気概に溢れた前向きな気持ちが芽生え、仮設住宅から転居した後も自立した生活へ向けて着実に進んでいる。