避難者との信頼関係ができるまで
社協名 | 白河市社会福祉協議会 |
時 期 | 平成23年~ |
【背景】
- 白河市は福島第一原発から南西約80Kmに位置し、震災当初から原発事故による避難者
を受け入れ、避難元が南相馬市、双葉町、浪江町、富岡町、楢葉町、大熊町、川内村、飯館村、広野町、いわき市、福島市、宮城県松島市と多数の市町村からの避難者が仮設住宅に混在していた。 - また、当初白河市内には避難元自治体や避難元社会福祉協議会の拠点がなかったことから、白河市社会福祉協議会(以下、白河市社協)は、避難者の生活不安や困りごとに対する支援が必要と判断し、避難者の生活支援活動を開始することを決めた。
- 平成23年8月、生活支援相談員(以下、相談員)2名で、仮設住宅約140戸、借上げ住宅350戸の巡回訪問が始まった。
【取組み】
相談員2名は、仮設住宅の訪問を始めるにあたって、白河市の仮設住宅の担当課から仮設住宅の情報を入手した。- 市から入手した情報は、仮設住宅の平面図と入居者名簿のみであり、訪問計画が立てにくかったので、より具体的に仮設住宅の図面に部屋の間取り、入居者数、入居者名、避難元の市町村を記入した独自の配置図(写真左)を作成した。
- 配置図が完成すると、1日に20軒~30軒訪問し、自分達が白河市社協の生活支援相談員であること、生活での困りごとの相談にのっていることを説明し、今後訪問して良いかの了承を得ることから始めた。1日の終わりには足が棒のようになる日もあった。
- また、市内各地に点在する借り上げ住宅の訪問には、地区ごとに巡回経路を検討しながら訪問計画を作成し、少しでも多くの世帯を訪問できるようにした。
- 入居者からは「被災していないあなた達に何が分かる」「話すことは何もない」「訪問は必要ありません」と玄関をピシッと閉められたこともあった。また、「地元の相談員さんと話しがしたい」と言われ心が折れそうにもなった。
- それでも、訪問を根気強く続けた結果、相談員の顔を見ると「ほっとするよ」と声をかけてくれるようになると、心が奮い立った。
-
相談員は、日常生活に密着した情報提供として、スーパー・コンビニ・病院・交番・銀行・郵便局・学校・公園などの地域資源をマップにしたり、電気・ガス・水道・移動手段などのインフラに関する問い合わせ先を一覧にした資料を作った。名物の白河ラーメンの店を記したマップは会話のきっかけづくりに役に立った。
-
さらに相談員の活動を理解してもらうツールが必要だと考え、「私たちは生活支援相談員です」というチラシ(左)を作ったり、留守の世帯には不在票に一言手書きのメッセージを添えて投函した。
- また、避難者のふるさとである相双地区の地理や地名、文化や習慣について情報を集め、書き出したノートを持ち歩き、訪問の際の会話の糸口となるように努めた。
- ●訪問活動では、特に第一印象が大事で気持ちよく受け入れてもらうため、「目くばり、気くばり、心くばり」をモットーに以下のような訪問を心掛けた。
・しっかりと自己紹介すること
・相手の顔を見て、目を見て笑顔で話すこと
・心を傾けて聴くこと
・一呼吸の沈黙を大切にすること
・直感と気づき
【効果】
- 地域の情報提供や、困っていることにいち早く対応することで、避難者から信頼を得ることができた。
- 一度受け入れてくれると避難者の方は自分から家族のこと、震災前の生活や震災当時のこと、そして今の心境や悩みを打ち明けてくれるようになった。
- 昔話を「ウン、ウン」と聞いてくれる相談員の訪問を心待ちにする避難者も増えていき、いつの間にか心安らぐ時間を共有する関係性ができてきた。
- 避難者の課題が明らかになってくると、相談員では解決できない問題もあり、個別の生活課題を解決するため専門機関へつないだ。
- 心のケアセンター、地域包括支援センター、県南保健福祉事務所、避難元市町村、避難元社協との情報共有のため、相談員から率先して避難者の状況などの情報を発信した。
相談員は、避難者が転居すると、転居先を教えてくれた方には新たな土地での生活不安を少しでも和らげるように手紙を書いて郵送した。- 避難者からの返事は、「白河市での生活が良い想い出になったこと」「転居先で元気に暮らしていること」が綴られており、白河市で暮らした避難生活が将来の希望につながったと、感謝の言葉をいただくことができた。